ゾンビの行く末
先週末、長年オーバーワーク危険信号を発信していたにも関わらず上司からの放置プレイのせいでゾンビのように働き続けていたフィールドチームのリーダーが、とうとう「鬱病」と診断され6月から休業することになった。ゾンビの彼を今まで動かし続けていた燃料は「責任感」のみ。
「責任感」とは恐ろしいもので、尽きることがない。
体がきつかろうが、脳みそがパンクしそうだろうが、心がグラグラ不安定だろうが、どこからともなく湧いてきて思考力が低下したゾンビの体を動かし続ける。
彼が周囲に発信していたSOS。
「人間ってなかなか倒れないもんですよね。倒れたら楽になるんですかね」
「俺、今年も有給休暇が5日取れてないんですよね」
「代休もたまってるんですけど、取れないんですよね…でも出勤簿上、決められた休暇は取得したことにしてるんですよね」
それダメじゃん。法律的にもアウトじゃん。
もちろん直属の上司は知っていたはず。
でも、彼の仕事を減らしたら、自分の仕事が増えるだけ。客先になんてほとんど出たことないし、実務だってやったことないのに中途採用で管理職経験者ってだけでマネージャーになった人間だもの。ま、無理だよね。まず、自分の部下に興味ないしね。3年前に部下の一人が心臓止まって亡くなったときも、香典どころか遺族に弔辞も送らなかった奴だもんね。
同じ組織の人間も知っていたはず。
でも、彼の仕事が自分に回ってくると困る。自分だって一杯一杯。だから、「あいつが自分で言わない限り、俺たちは応援する」スタンス。ま、そうだよね。わからんでもない。
人事だって知っていたはず。
でも、言わない。うちの会社は各マネージャーが一国一城の主状態。ある意味人事にとって「治外法権」。別の国。一人の従業員が倒れるより、マネージャーを敵に回す方がずっとやっかい。だから言わない。人事と書いて「ひとごと」と読みますからね。
皆さん、知っていたはず。
社内の誰も「あの環境は異様だ」とは大声では言わず、「あそこはやばい」ひそひそと話すだけ。ぺーぺー社員が何を言おうと、何の力も無いことをわかっているから。労組だってないし。
私も上司に話したことがある。私の上司は安全衛生管理責任者だ。
「彼はずーーーっとヤバい状態にある。倒れないのが不思議なくらいだ。何とかならないか。有休取れないなんておかしくないか?」
上司の回答は実に簡単なものだった。
「みーさん、それはお隣のお家の子が体調悪そうだっていうお話だよね?よそのお家にはそのお家じゃないとわからない事情があるかもしれないでしょ?事情も知らずによその家庭に口をだすもんじゃないでしょ?」
私の上司を以てしてもよその部署への干渉は、人事部がためらう理由と同様に好ましくないことなのだろう。
わかりきっていたことだが、会社は社員を守ってはくれない。
動き続けている限り「なんだかんだ言っても動いてるじゃん」となる。
動き続けている限り「動いてるから問題ないじゃん」となる。
あきらかにゾンビ化していても会社にとっては関係ない。
ゾンビが0.1、0.2の状態を1にしようとかなり無理をしていたとしても関係ない。
0じゃない限り、会社にとっては1なのだ。
効率が落ちていようが関係ない。
ゾンビを哀れに思った周囲の誰かが1以上やって補ってしまうのだから、トータル関係ない。
社員が提供する寿命の一部に対し、その価値に応じて対価を支給する。
それが会社だ。勝手に相手を美化してはいけない。
自分が寿命の一部を提供するのに相応しい相手かどうか、それは自分できちんと見なければいけない。
だましだまし近くにいる鳥が青い鳥だと信じてきた私が、そこに疑問を感じてしまった今、ゾンビの動く燃料「責任感」が薄れつつあり体中のどこからも湧き出さなくなってきている。
相手への信頼感が薄れれば、相手への責任感も薄れる。当然のことだと思う。
数々起きるハラスメントを無視し、話を聞いてるふりして「そんなことは受け入れろ。君はそんなに弱いのかい?」と暗に言う。
そんな組織で私の寿命の一部「最後の貴重な10年」は働けない。
さ、
とりあえず今週も半ゾンビで仕事頑張ろう。
そして、半人間は転職活動にいそしむこととする。